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叔母のこと [vivre ma vie]

それは突然の出来事だった。
1月のいつもと変わらない日常の朝、電話のベルが鳴った。
「こんな朝早い時間に...」
家族の誰もが緊張した。
「もしや、入院中の父の病院?...」

予想は外れ、昨年末にようやく入所が決まり、このブログにも時々登場していた叔母(父の姉)
のいる施設からだった。

その10日ほど前、家族で面会に行ったばかりで、
元気そうにシルバーカーを押し、いつもと変わらない会話を交わした。
「お父さんは元気?」
相変わらず病院で寝たきりだよと伝えると、
ふと寂しそうな表情を浮かべ、
「代わってあげたい...」と顔を覆って涙ぐんだ。
「また病院に連れて行ってあげるから」
それが叔母との最期だった。

人生初の喪主となった私は、名古屋でのイベントを控え準備に追われていたが、
待ってはくれない事態に直面し、さらに慌ただしい日々を送ることになった。
式をなんとか終え、その後も書類手続きや住居の後始末などやるべき事が山積している中...
叔母が生前足繁く通っていた近所の八百屋のご主人が、
張り詰めていた私の心を解きほぐしてくれるようなひと言をくれた。

「今まで数多くの葬儀に参列したけど、○○ちゃん(私のこと)の弔辞が一番感銘を受けた。
そんな姪に見守られて△△さん(叔母のこと)は幸せだったと思うよ。」

予期せぬ言葉に驚き、こらえていたものが溢れ出たが、
さらにその原稿のコピーが欲しいとまで言われ、おこがましくも後で差し上げた。
我ながら叔母のことを端的に表現したつもりだが、
彼女の日常や性格を知り尽くしていたご主人だった故とはいえ、
それが伝わり心に響いてくれたことは嬉しく、
”知らない人”にとってはなんてことない文だが、
叔母の冥福を祈って、一部をここに紹介しようと思う。

(前文、後文略)
〜叔母は自由奔放にみえて義理堅く、自分のことはもとより、人を思いやり
常に感謝の念を忘れない人でした。
それ故、生涯独身でしたが、皆さまのようなあたたかい友人、隣人に恵まれ、
亡くなる前日まで自らの足で歩き、食事をおいしく食べられたことは、
幸せな人生だったのではないかと思います。
今頃は、大好きな三谷祭の太鼓や笛の音が遠い空の上まで鳴り響いてくるのを、
今か今かと待ち望んでいる姿が目に浮かびます。〜

人生はいつ何が起こるかわからない。
施設の方によると、叔母は深夜の見回りの時点ではよく眠っていたらしいので、
神さまが人生を全うしたと判断しての結果だろう。
父に会わせてあげられなかったのが悔やまれるが、
運命とはそんなものかも知れない。
今できることはやり、会いたい人には会いに行こう♫